ソーシャルゲームとはつまり自尊感情の補完

Pocket

最近何かと話題のソーシャルゲーム。
右を向いても左を向いても、とにかくGREEがクソだという意見しか出てこないわけですが、
まぁそれはそれ。否定はしないが、肯定もしない。

昔からあったオンラインゲームのビジネスモデルのひとつで、
無料でゲームができますっていう謳い文句でユーザーを誘い入れおいて、
ゲームが楽しくなってきたところで、有料アイテムを購入するように仕向ける。

GREEはそれをスマートフォンに落とし込んで、課金の誘導を露骨にしたってだけ。

社会の仕組みとして弱者が強者から搾取されるのは仕方のないことで、
それをビジネスとして尊敬できないというのは分かるけど、
わざわざ外野から野次飛ばすほどのことではない。
つーか、それはただの妬みなんじゃないだろうか。

誰かが言ってたけど、「世の中の過半は偏差値50以下だ」って。
何かそれ聞いた時に、妙な納得感があって、
そもそも全ての人に等しく理解力や思考の力を期待するのは根本的に違うよね。

で、ちょっと面白い記事があった。

任天堂はなぜソーシャルゲームをやらないのか(下)

>「誰もが実人生で成功し、達成による自尊感情を持つことが
>できればいいが、なかなかそうはいかない。

>学校では努力の大切さを教えられますが、
>努力はいつも実るわけじゃない。
>でも、自尊感情が損なわれたままで生きていくのは、難しい。
>それは昔も今も変わらない。

>だから昔から、自尊感情をくすぐるものは儲かることになっている。
>たとえば、1980年代後半のバブル期に大いに売れた
>高価なブランドバッグも、周囲の人間に見せびらかすことによって、
>自尊感情を補完していたと言えます。
>それが今は、ソーシャルゲームになっただけでしょう」

なるほどねぇー、って納得。

あれは自尊感情、
つまり「自分は価値のある人間だ」という認識が、現実世界の自分には欠けてて、
そこを埋めようとする欲求を狙ったビジネスなわけだ。

ソーシャルゲームって呼ばれ始めてからは、私もその手のゲームには触れてないけども、
私も昔ネットゲームにハマった時期があって、あのころ確か月に3000円とか
4000円とかせっせと払っていたけれど、つまりは自尊感情の補完だったわけだ。

まぁでも最終的には、だからうんぬん・・・みたいなことではなくて、
別に人が好きでやってるわけだから、それでいいんだよね。

私もネットゲームやってた当時は超が付くほど楽しかったし、
ああいう知らない世界を覗けたことは貴重な体験だったと思う。
今じゃすっかりゲーム自体やらなくなってしまったけども。

だからGREEがどんなにウンコみたいな商売しかやってなくても、
そのウンコが、ある人にとってはキラキラ輝いて見えたりするわけで、

つまりはキラキラ輝くウンコってことだ。

こういう事を言い始めるならば、世の中にあるもののほとんどはウンコだ。
他人から見ればウンコばっかりだ。

だから誰かから「それ実はウンコなんだよ、知らなかったの?」って言われたら、

「いや知ってるよ。でもこのウンコ最高なんだよ。知らなかったの?」
って返せばいい。

どうせあっという間に人生が終わっていって、みんな塵になっていくんだから、
好きなウンコに、時間なり金なり注ぎ込めばいいと思うよ。

それよりも冒頭の、

>「誰もが実人生で成功し、達成による自尊感情を持つことが
>できればいいが、なかなかそうはいかない。
>学校では努力の大切さを教えられますが、
>努力はいつも実るわけじゃない。

という部分。これは結構深い。

基本的に世の中には成功者の理論しか残ってないから、
案外こういう事実が認識されないよね。

 

「勝ち負けは努力の要素で左右されるほど甘くない」 – 明石家さんま

Pocket