“Less is more”は、ドイツの建築家 ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ の言葉。

にわかに注目されつつあるこの言葉だけど、
個人的には非常に興味深く、真理を感じるものがある。

 

こういう類の考え方に興味を持った始まりは、映画「ファイトクラブ」を観たときだった。

この映画全編に流れる”何かに依存するな”という強烈なメッセージ性。

ブラット・ピット演じる主人公の理想像タイラー・ダーデンは、こう言った。

「職業が何だ? 財産が何の評価に? 車も関係ない。人は財布の中身でもファッションでもない。お前らはこの世のクズだ」

正にその通りだ。

 

一時的なステータスや所有物などは、何かのきっかけで、明日消えてなくなるかもしれないようなものでしかない。

例えば、年収1000万稼いでいるとか、ブランドものに囲まれてるとか、レコード何千枚持ってるとか、そういうのは結局何の価値にもならない。天災が起これば物は簡単に消えてなくなるし、職業なんて経済の流れひとつで失われたりするものだ。

つまりは自分の外にあるもの(他人の評価も含め)に、自分の価値を見出していると、それが失われた時に、自分が自分でなくなるわけだ。

これはとても恐ろしいことだと思う。

だから自分の内側にあるもの、それは価値観であったり、考え方であったり、礼儀であったり、まぁ色々あると思うけど、そういうものに重きを置かなくては、と当時強く思ったのを覚えている。

同時に、色んなことがバカらしくなったし、物に依存せず、何かに縛られず、もっと自由に行動しようと思い始めたのもこの時だ。

それこそ世界一周旅行に出る時なんかは、もう気楽なもんで、仕事を辞めることには躊躇はなかったし、家財道具からターンテーブル、レコード、洋服まで、あらゆるものを処分した。

帰ってきた時に必要かどうかなんてことは、ほとんど考慮してなかった。それを言い出したらキリがないからだ。

 

ただひとつだけ皆に言っておきたいことがあって、本の出張買い取りに便乗して、もってたエロDVDを査定に出したら、マニアックなDVDだけ戻されることがあるので、気をつけていただきたい。

 

ビデ倫マークがついてないと買い取りできないんですよ~。

できないんですよ~。じゃない。

このインディーズ全盛時代に何を言ってるんだ。

買取スタッフに、自分の性癖を晒して恥かいただけやん。

 

 

旅に出れば、バックパックに入らない荷物は持って歩けない。

つまり自分で運べる量 ≒自分の全財産。

 

それでも旅をするには十分で、何なら、電気がなかったり、お湯はもちろん水道もまともに出なかったりする土地も珍しくないけど、別に生きていくのに困ったりはしない。

 

だから、水道と電気とガスがまともに使える時点で超ハッピー。

水圧バリバリのお湯シャワーとか出たら、本当泣ける。

本質的には、そこから先は、物はほとんど要らない。

 

旅をしながら何度も何度も荷物のパッキングをやっていると、自分に最低限必要な物が何なのかはおのずと分かってくるものだ。

 

経済先進国に住む多くの人達が大量の商品を買うのは、本当に必要だからじゃない。

社会が合理化・効率化された結果として、自分の中に実感として得られる生の手ごたえというか、豊かさみたいなものを感じることができないから、自分の外にあるステータスシンボルを獲得し、あたかも自分自身の価値であるかのように掲げることで、精神的なバランスを取っているんじゃないだろうか。

 

必要なのは、最低限の生活インフラと、時間的な余裕と、

あと家族とか友達。それもわりと身近な人達。

Facebookでいいねボタン押してるだけの関係ではなくてね。

 

それだけで今の何倍も幸せになれるはずだと思う。

 

物を捨てれば、どこまでもあなたは身軽になれる。

 

少し前に、話題になっていた、ウルグアイのムヒカ大統領の演説には、こういう言葉が含まれていた。

貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ

これに尽きる。

 

とても貴重な日本語訳があるので、知らない人はぜひ一読してほしい。

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