久しぶりに東京に行った。
そうだな、どこから話せば良いだろうか。
話は4年前まで遡る。
4年前ちょうどスペイン語留学のために、グアテマラに行った時のこと。
留学先はサンペドロラグーナという湖畔の小さな村だった。
そんなに人も多くはないが、一応スペイン語を安価で学べて、のどかな生活を送れる場所として、バックパッカーの間ではそれなりに知られた土地だと思う。
留学に来ているのはアメリカ人、フランス人、イスラエル人等、まぁいろいろなのだが、アジア人はほとんど見かけなくて、その時その村にいたのは私と、友達(日本人)だけだった。
私たちが選んだスペイン語学校は、村の端の方にある、かなり牧歌的な学校で、今となっては何故そこを選んだのかすら覚えていないが、ともかくその学校に行った初日、たまたまもう1人日本人がいた。名前はジュン君だった。
つまりその時村にいたアジア人は実は3人で、全員日本人。
そして偶然、同じ学校だった。
言うまでもなく、私たち3人は意気投合し、スペイン語留学の間毎日一緒に遊んでた。
やがてスペイン語留学が終わり、お互いに次の目的地へ向かうため別れたわけだが、ほどなくしてコロンビアで合流した。
コロンビアでは、3人で毎日行きつけのピザ屋に通ったりした。宿の受付の女の子と仲良くなり、ホームパーティーにも呼ばれたりした。あれは最高だった。
その後、ペルーへ南下し、マチュピチュに向けて、クスコという町でプラプラしてた時、宿にやってきた日本人の男1人と意気投合し、また別の日に日本人の女の子1人と意気投合し、結果5人で行動するようになった。
映画「スタンドバイミー」みたいに線路の上を何時間もかけて歩いてマチュピチュ村まで行って、みんなで温泉に入り、大晦日のカウントダウンパーティーで踊り、元旦にマチュピチュに登った。
その後、ペルーからボリビアへの国境を一緒に越え、ボリビアのウユニ塩湖で壮大な景色に圧倒され、声をあげた。
その間に私は2回ぐらい体調を崩して寝込み、だいぶガリガリ君になっていたわけだが、
そんな楽しい日々も終わりを迎えようとしていた。
ボリビアにある、ポトシという炭鉱の町を出る時、5人は別れることになった。
スペイン語留学で一緒だった3人と、後から合流した男1人女1人は、別々のルートへ向かう予定だったから。
別れの日、夜のバスで私たち3人が先に出ることになったのだが、その時に別ルートに向かう女の子がみんなに手紙を渡してくれた。
短い間だったけど、楽しかったよ。ありがとう。
みたいな。
冷静に思い返すとなんだか別れる恋人みたいな内容だが、旅をしていると、出会いも別れも多くて、こういう手紙のやり取りをすることが結構あったりする。
LINEでスタンプポン!みたいな手軽さと違って、
手紙を書いて、それを手渡しする。着いた宿の2段ベッドの上で、1人でしみじみ手紙を読み返すというのも、とても良いものですよ。若者諸君。
別れはつらいが、色んな国を移動していると、くよくよもしていられない。
だけど、ジュン君だけは、バスの中で1人思いつめたような顔をしてた。
早朝、バスは目的地に到着し、そこからタクシーで宿に向かった。
毎度のことだけど、やはり移動というのは疲れるもので、3ベッドの個室を取るなり、私はベッドに倒れこんだ。
朝の6時ぐらいだったと思う。
周りの部屋はまだ皆寝ているのか静かだった。
大の字で天井を見上げていた私たち2人に、
ベッドに腰掛けたままのジュン君が言った。
「俺、確かめに行ってきますわ。」
何を言っているのか分からなかった。
行ってきますわ。って今着いたばっかじゃん。
確かめるの後でよくない?
そう突っ込む体力もなかった。
ジュン君は前の晩に別れた女の子を好きになっていたのだ。
その気持ちを確かめに、
何時間もかけて来た道を、また何時間もかけてUターンしていった。
私たちも止めなかった。
3ベッドで部屋取ったんですけど。
そう突っ込む体力もなかった。
2人はウユニ塩湖で再会した。
そして4年後の今年、東京で式を挙げた。
人生何がどうなるか、分からないものだと思った。
あの日ベッドで天井を見ながら唖然としていた私には、想像もつかなかった。
先を予想しても、未来のことなんて誰にも分からないのだから、
ただ目の前に精一杯になればいいのかもしれない。
心からおめでとう。