お母さんより (上)

何年か前、知り合った女の子に、こういうことを言われた。

「アウトローな人生だね。」

ドキっとした。そんな風に思ったこともなかった。

実際のところを言えば、アウトローというほど大げさで破天荒な人生ではない。至って普通といえば、普通のようにも思う。しかし順当な人生かといえば、そうでもない。

ただ、いわゆるごく一般的な、小・中・高・大と進んで、就職して、結婚して・・・という寄り道のない、親の望む人生とは、少しそれた道だった。

高校卒業の時点では、なぜ大学に行くのかが分からなかった。みんな何を勉強して、何を目指して大学に行っているのか。法学部も商学部も経済学部も、果たして何を学ぶのか検討がつかなかった。

DJがやりたくなった。

私が初めて、心の底からやりたいと思ったこと。

その先にある世界と、心が踊るような期待感。

「DJをやりたい」と言った。

母親は激昂。
さらに、ショックのためか、母親は車を運転中、交通事故を起こした。

私はあらゆる人から責めに責められた。しかし頑なに意志を曲げなかった。

しばらくして、友達の父親から呼び出され、引っ叩かれた。

私には父親がいない。

私が小さい頃に病に倒れ、その後亡くなった。父はまだ30代だった。私はまだ小学2年だった。

だから私は父をあまり知らない。唯一の記憶は、2つだけ。

いつも疲れて帰ってきた父に甘えて、夕食の邪魔をしていたこと。
私が公園で遊んでいる時、泣いてしまい、いつもおんぶして連れて帰ってくれたこと。

父親というものがどういう存在なのか、あまり分からずにいた。

友達の父親は、父の居ない私に対して、精一杯の愛を込めて叩いたのだと思う。
だけど、それがほんの少しも届かないほど、既に私はひねくれていた。

絶縁寸前。

折り合いがつかず、結局私は家を出た。

しばらくは、バイト先にあった3畳程度の倉庫で暮らし、のちに親友とルームシェアを始めた。

それからDJに没頭した。

初めてレギュラーイベントを持てた。

初めてギャラをもらえた。

初めて週末の夜を任された。

色んな人から声をかけられるようになった。

最高に盛り上げた夜、他では得られない充足感。
そして朝が来て、こみ上げる疲れとともに眠る。

いま思い出しても、最高に楽しかった瞬間。

でもそれはどこか怠惰で、不安定なものだった。それが永遠には続かないことに、私は気づき始めていた。

母親はいつも心配をし、私に手紙を送った。私の母親は手紙の好きな人で、何かの節に手紙を出す習慣を持っていた。形だけのお歳暮や、心のない年賀状と違い、周りの人にはそれが評判だった。

私はいつも母親の手紙が来る度、それを読んで、一人部屋で泣いていた。なのに私は、一度離れてしまった距離を、自分から埋めることができずにいた。

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