「本当に仲が良い」ということの定義

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有名なのでたぶん知っている人も多いと思うが、何年か前に亡くなってしまったロビン・ウイリアムスという俳優さんがいた。

中学生時代、この人が主演を務める「今を生きる」という映画を実家のリビングで観て、親の目の前でバスタオルで足りないほどに号泣してから、以来ファンになった人だった。

名言というのか分からないけど、この人の言葉に好きなものがあってそれはこんなものだ。

 

“You’re only given a little spark of madness. You mustn’t lose it.” s
あなたにはほんの少し、変わったところがある。だけどそれを失ってはいけない。

ソース:15 Quotes From The Late Robin Williams On Love, Life, & Loneliness | Collective EVOLUTION

 

たとえば、誰も居なくなった家の中で、周りを気にせず音楽に合わせて踊りまくったり、鏡の前でものすごい変顔をしてみたり、普段しないようなモデルポーズをとってみたり、そんな経験は誰にでもあるはずだ。

一般的にはあまり受け入れられないよう、知性のない、恥ずかしい行為のようで、なかなか人前でやることがないこと。そういう、世間的にはちょっと変わった部分こそが本来の自分のキャラクターであり持ち味であり、「素」なのだと思う。

だからこそそういった部分を絶対に失わず、隠さず、受け止めて、むしろ伸ばしていくべきなのだと私も思っている。

―が、まぁ日本社会ではなかなか難しいことは言うまでもなく。

 

少し話は変わるけど、

知り合いと友達の境界線って何だろうとか、友達と親友の境界線って何だろう?という話があるとしよう。みなさんにはこの境界線がどこか、自分で説明できるだろうか。

 

私の場合、「本当に仲が良いとはどういうことか?」という点について自分なりの定義があって、それはまさに、自分の変わった部分をさらけ出せるかどうかだと思っている。

簡単に言えば、その人に対しておふざけが出来るかどうか

 

だから職場のように、いくら毎日会う関係でも、どこかで自分のある部分を見せていなかったり、本気でふざけたりできない相手というのは、私の中では「本当に仲が良い」とは言えない。あくまでも「仲が良い」とか、「良い関係」でしかないのだ。

ただし、これがすなわち、「親友」とイコールかと言われれば、人によっては違う気もする。

あくまでも「本当に仲が良い」かどうかだけの判断だけど、仲が良くなればなるほど、おふざけ度は上がってくるものだと思う。

ところで、初対面の相手にふざけられるような性格の人は、仲が良くなると、もっと凄まじくふざけるのだろうか?それとも変化はないのだろうか?気になっている。

 

皆さんならどういう定義をするだろうか?

 

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