一般的にコーチという言葉は、スポーツなどにおいて「技術を教える人」というイメージが強いかもしれません。

しかしここでのコーチは、1対1の対話を通して、その人の中にある「本当の願い」を探求し、その実現に向けた行動促進を目的としています。

より具体的に言えば、コーチとの対話ではこのようなプロセスを辿ります。

思考を整理して「ありたい姿」「やりたいこと」を明らかにする。

そのために必要な行動を考える。

その行動をすることで変化が生まれる。

進歩を実感することで自信がつき、より前に進めるようになる。

 

そしてこの中でも最も難しいのが、「ありたい姿」「やりたいこと」を明らかにすることであり、それはつまり本当の「願い」を言葉にすることです。

その人の願いはその人にしか分かりません。
だからこそ、コーチは教えるのではなく聴く役目なのです。

 

「願いを聴く」とは?

私たち人間は社会生活を行なう中で、自分の願いにフタをして生きていることが珍しくありません。

社会人として、親として、子として、男性/女性/LGBTQとして、様々な役割を知らず知らずの内に演じています。その役割ごとに、”こうあるべき”という考えを持ち、それに沿って振る舞っています。

つまり現代では、本来あるべき”自分らしさ”を出せる場面がとても少なくなってしまっているのです。

コーチは、その人自身が持つ自分らしさと、その中にある願いに気づいてもらうための対話をします。

 

本来の自分を取り戻す

自分らしさを取り戻し、本当の願いに気づくためにこの2つが大事です。

・役割を持たずにフラットに話せる相手
・自分に向き合うためだけの時間

たとえば「心を許せる友人と話す」という方法もあると思います。友人と話す場合は、比較的「役割」が薄く、フラットに話せる感じがします。

問題は、友人が仮に話を聞くのが上手い人だったとしても、「自分に向き合うためだけの時間」を尊重した対話ができるとは限りません。やがてその友人が言いたいことに話題が移っていくこともあるでしょう。

では、1人で考えるというのはどうでしょうか。自分1人で考えるということはとても重要なことです。しかし、1人で考えた先にありそうなのは「いつも選びそうな答え」なのかもしれません。

 

コーチとの対話が何が違う?

コーチとの対話に「役割」は存在せず、あなたの話を遮ることもありません。あなたに向き合い、思考の奥に隠れている願いを探します。

そもそも、人は選択肢の中からピンと来たものを選び、う~んと感じたものを外して生きています。

人には思考の偏り(クセ)があり、それが行動の偏りとなり、その集大成が今の自分です。もちろん、そこに良い悪いはありません。

しかし、もし、本当の願いが、その思考の偏りの外にあるとしたらどうでしょうか。もしくはそれには薄々気づいているのに、フタをして隠している自分がいるとしたらどうでしょうか。

 

対話を通して言葉にする

コーチというのは、言葉になっていない部分を感じ取り、それを言葉にしてもらうための問いを投げかける存在であり、そのための訓練を積んだプロフェッショナルです。

その人の中にある「感覚的なもの」や「無自覚であったもの」を、対話によって「自身の言葉」に変換し、その人がより理解しやすい状態を作っていきます。

ボンヤリしていたものが言葉になることで思考が整理され、これまで見えなかったもの、見て見ぬフリをしていたものが分かるようになります。

それに気づいた時、誰かの押し売りでも押し付けでもない自分発の「ありたい姿」「やりたいこと」が見えるようになります。

そのために自分はどんな行動をしたいのか、どんな風に生きたいのか。

日常の会話とはまったく違う、コーチとの対話。それはつまり、自分自身との対話です。

知りたい答えはすでにあなたが持っています。

 

 

\話せばわかる、自分のことが。/
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